台風とセカイ

台風が過ぎ去ったおかげで、湿度がかなり下がりすごしやすくなっています。
昨日今日はからっと晴れてます。
昨日は、この乾いた暑さを感じて北海道を懐かしみました。たしか暑いときはこんな感じだったなあと。乾いた暑さと突き刺さる日差し。夏って感じです。最近のむしむしした暑さはどちらかというと異世界体験のような感じでした。夏じゃない、何か違う季節だと言いたくなる様な、そんな感じでした。

話はかわりますが。芸術作品はどれもそうだと思いますが、SFの場合にも、作者が生まれ育った時代の影響を受けているのだなと最近思いました。同年代の作家はやはり青春期に同じような作品を読んでいるわけで、同じような日常生活を送っていたわけで、作品を書いたとして無意識に時代(読書作品、世相)を反映しているはずです。たとえば、インターネットが当たり前に存在している世代と、想像もしなかった世代では、たとえ今現在インターネットがあったとしても書き方が変わってくるでしょうし、十代のときに携帯電話をすでに使っている世代、特にメールを使えばいつでもどこでも誰かとつながっていられるという感覚を持っていて携帯電話を忘れると不安を覚える世代は、他の世代とはまったく違う日常を過ごしていたと思います。作家として世に出てくるのが通常二十代であるとすれば、そろそろその影響を受けた作家が大量に出てくるのではないかと思うのです。
数年前は、日本SF、特にライトノベル系では「セカイ系」がはやったようです。「ようです」というのは、自分が海外ばかり読んでいたせいで正確なリサーチを自分でやったわけではないからですが、世間的にはそうみたいです。セカイ系を書いている人たちは二十代後半から三十代になっているとすれば、ちょうどバブルからバブル崩壊のときに十代をすごした世代であるといえると思います。ちなみに私はバブル崩壊(1991年頃)には9才でしたので、バブル景気を認識しませんでした。それからずっと「失われた十年」とか「もう二十年」とか言われますが、崩壊が認識できる知的レベルに達していた年齢とそうではなかった年齢だと結構違うように思います。
日本全体が自信に満ち溢れていたときと自信を喪失していた時の両方を経験したということが、何かその世代に影響を及ぼしているはずです。それがどのようにセカイ系になったかはわかりませんが。
いまの二十代前半は、気づいた頃にはずっと不況で、それが当たり前だと思っていた世代だと思います。そして、コミュニケーションの手段が携帯メールの登場で一変したのを経験した世代です。
今の十代は、いわゆる「平成生まれ」であり、携帯電話とインターネットが小さい頃から存在している世代でしょう。自分たちの小学校中学校のころは、自分の世界の認識範囲は、自分の行動範囲にほぼ一致していましたし、情報を発信するという行為は存在せず、基本的に受動的でした。
「平成生まれ」世代はどんな人でも情報を発信することができるしそれを世界中の人が見てくれると教わっています。
また、若い平成生まれである程度ネットに詳しければ、携帯電話、インターネットにつづくコミュニケーション革命(いいすぎか)とも言える巨大匿名掲示板すらも当たり前に存在するような状況です。

したがって、今後の傾向として、わかる範囲であと三回、無意識的に増える「系」がかわると思われます。
自分らの書く作品が何を無意識的にコアにおいてしまうのか、それがわかればもう少し作品を制御できる気がします。
90年代から00年代ほど人と人とのコミュニケーションが変わった年代はないと思うので、これからでてくる作家に大いに期待です。もちろん自分も含めて。


N君みたいに、まわりとまったく違う読書遍歴を持っている人は、きっとまた違うのでしょうが、その例はexceptionでありこの議論では無視できると仮定します(笑)